第4回 割れた湯吞 横須賀雪枝

写真は民藝運動ゆかりの陶芸家、浜田庄司作の鉄絵黍紋湯吞。浜田庄司は私が敬愛する陶芸家で、これは撮影のためにお借りしたものだが、私には浜田庄司の湯吞に忘れられない思い出がある。

それは私が外村吉之介(染織家)のもとに弟子入りしてまもない19歳の時のこと。まだ民藝についてもほとんど知識のない頃のことである。その日私は夕飯を作る当番で、台所でその湯吞を他の食器と一緒に食卓へと運ぶために配膳台の上でお盆に載せて並べておいたのだが、もののはずみでお盆に体があたり、お盆ごと床に落ちてしまったのだった。けたたましい音とともに、その湯吞はこなごなに割れた。私のたてた音は隣の部屋にいた師の耳にも当然届いていた。すぐに「どうしましたか?」という師の声がした。私は湯吞を割ったことを正直に伝え、額を床につけて謝った。しかしこの時点での私は、怒られることへの恐怖心で萎縮していただけであり、自分の犯したことの重大さにまだ気がついてはいなかった。

師はそれを聞いて少しこわばったが、怒りは見せず「すぐに破片を拾い集めなさい」とだけ私に告げた」しかしその後に姉弟子が「あれは人間国宝の浜田庄司さんの湯吞で。浜田さんから直接いただいてとても気に入っているって先生から聞いたわ」と言うのである。私は血の気がひいた。悔やんでも悔やみきれない失敗について思い悩むと同時に、師はなぜ私に怒りをぶつけなかったのか、その意味を考えさせられることとなった。

若く未熟だった私は、もし頭ごなしに怒られていたなら、その場で平謝りしただろうけれど、自分がやったことは棚にあげて「肩書きや箱書きにこだわらず、物や人物を見なさい」といつも言う師も、結局は人間国宝の湯吞だから大切にしていたのか、と思ったかもしれない。しかし師は弟子に台所を任せた以上、仕方ないことと受け止め、怒りもしなければ嫌みをいうこともなかった。しばらく考えた結果、私はそれが弟子への深い愛情と、師の教えだったのだと理解した。

その後、湯吞みは継ぎ師によって元のかたちに戻されたが、割れる以前に戻ったわけではないことは私が一番よくわかっている。

そんな経験からもう十数年が経ち、私も親になった。先日息子の友人達が家に来て遊んでいる時、飾ってあった陶器にひとりの子の身体がぶつかり割れてしまった。ガチャンという音に一瞬凍りついたが、すぐに「大丈夫、たしたことではないから」と微笑むことができた。子どもたちを見ながら、遠い日を思い出し、今は亡き師にもう一度あって心から詫び、多くの教えを受けたことをあらためて感謝したいと思った。

(『言語』2007年4月号 大修館書店)

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