第2回 「碗」と「椀」  横須賀雪枝

私の師、民藝運動家であり染織家の故・外村吉之介は、九十五歳で亡くなるまで、弟子達と毎日のように食事を共にしていたが、「食卓を美しく」との考えから、バターや醤油などの調味料を市販の容器のまま並べることを許さず、すべて陶器やガラスの器などに入れかえて食卓に出させていた。それらの器は、民藝の思想を受け継ぎ、暮らしに役立つ品を作っている日本各地の窯や工房のものばかりで、湯町窯(島根県)のガレナ釉がかかった黄色いミルクピッチャーはマヨネーズ入れになっていたし、壷屋焼(沖縄県)の三彩釉の蓋物には塩昆布や梅干しが入っていた。

師はいつも食事の時間をとても大切にし、私達にいつも楽しい話をしてくれた。また食卓を家族で囲むことの大切さや、美しい器に盛りつけることの意味なども語り、中でも「漆の器を食卓に取り入れなさい」とよく言っていた。

「朱塗りの味噌汁椀がひとつあるだけで、食卓は明るくなって食事も美味しくいただけます」と説いたが、「昨今の椀は中味がプラスチックで塗装も化学塗料のものが多く流通し、漆産業は大打撃を受けている」と嘆いていた。

そして「日本にはおワンを示す漢字が二つある。一つは陶器や磁器を表す『碗』、もう一つは木製の器を表す『椀』。でも最近は石でも木でもなくプラスチックでできたワンが多いから、プ偏っていうのを作らなければならないと思っているんだよ」と皮肉たっぷりに笑いながら話してくれた。

写真は、宮城県の北西部、川渡温泉に工房を構える小野寺公夫さんの作られたお椀で、我が家の愛用品である。とても丈夫でいくら使ってもちっとも漆がはげてこない。これは木地の見立てに始まり、天然の漆を吟味して使い、何度も何度も丁寧に塗り重ねているからに他ならない。下地を塗ってから研ぎ、また塗って、それを繰り返してようやく完成する。その根気のいる作業は出来上がった椀を見ても、すぐにはわからない。でもひとつの工程でも手を抜いてしまうと使い手に渡ってからその結果がでてしまうのだ。

お椀を両手で包むように持って味噌汁をすすった時、手に伝わる感触と柔らかな口当たりから技術の確かさが伝わってくる気がする。

食器洗い乾燥機の普及で、そこに入れることができない漆のお椀は肩身が狭くなりつつある。家事労働が軽減されることは歓迎だが、家族の汁碗だけは手で洗うという余裕が暮らしの中にあってもよいのではないかと思うのである。

(『言語』2007年2月号 大修館書店)

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