第3回 イカ墨のセピアインク 横須賀雪枝

私は『民藝』という雑誌の編集者だった頃に、民藝運動の同人達が大正から昭和にかけてセピアインクを好んで使っていたことを調べたのがきっかけで、自分もセピアインクが好きになり、この数年こつこつ調べてきた。そして3年程前、本誌にエッセイを書く機会を得たので、セピアインクの歴史について書かせてもらった。セピアとはラテン語で「イカ」または「イカ墨」を意味し、西洋ではイカ墨から作られたインクが広く使われていた。また舶来物のイカ墨インクを日本で愛用していたのは、夏目漱石とその門下、そして民藝運動家の柳宗悦や陶芸家のバーナード・リーチらであった。鳥取民藝美術館の館長であった吉田璋也は柳からセピアインクで描く文字や絵の美しさを教えられ、友人の化学者と共に昭和7年頃から研究開発し、昭和11年に特許も取って製造、発売していた。イカが大量に水揚げされる鳥取で生まれた日本初のイカ墨インクである。昭和30年代まで販売されていたことはつきとめたが、今では姿を消してしまったので、ぜひどこかでまた万年筆に入れられるインクを作ってほしいというところでエッセイは終わっていた。

しかし平成17年9月、鳥取でイカ墨からインクを作ることに再び成功し、製品化されたのだ。日本のイカ墨インク発祥の地で、復活をとげたのである。今回開発したのは、吉田璋也の思想を今に受け継ぐ鳥取民藝協会と、大村塗料という会社で、地元には昔の資料がほとんど残っておらず、特許庁のデーターベースにあった出願書などを参考にしながら独自に開発した。超微粒子加工し、昔のものより耐水性にすぐれ、万年筆に入れても詰まりにくいという。

容器も鳥取の手仕事にこだわり、最初の百個は県産の智頭杉を使った挽き物のインクポットに入れられ販売された。このポットは下地に柿渋を塗り拭き漆で仕上げてあるので、インクをはじき、汚れにくいという。これだけでもデスクに飾っておきたい美しさである。実際に使ってみると、もちろん匂いはないし、化学塗料のセピアよりも赤みがかった色に見える。柔らかくいい色だ。手紙や文章を綴ると、一味違ったものになるような気さえする。

特許庁の記録などが見つかったことで始まった復刻版開発。微力ながら資料さがしのお手伝いをした私に、完成後すぐ鳥取からインクが届いた。平成のイカ墨インクの誕生を我がことのように喜んでいる。

(『言語』2007年3月号 大修館書店)

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